★★★☆☆
とうとう孔明が登場。三国志に触れずに過ごしてきたので、ようやく知っている名前が出てきた。関羽や陳宮の厚い忠義に関心する一方、劉備が忠義を理由に孔明案を退けるのをもどかしく思う巻。
<陳宮の最期>
呂布とともに曹操に捕らえられた陳宮は、曹操から「なぜ負けたか分かるか」と問われ、「主君である呂布が自分の策を容れなかったからだ」「早く殺せ。殺して軍律を正せ」と返答する。曹操は陳宮の才能を認め、殺さず自分の元で重用したかったため、進んで処刑台に向かった陳宮の後ろ姿に涙を流す。
陳宮の最期は潔い。母親や妻子について、曹操に「天下を治める人は人の親や子を殺さない」と言い、曹操は家族の面倒をみたという。曹操は人の才能を見出して、認めた人間には篤く重用していた心意気が良く分かるエピソード。
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<関羽にご執心の曹操>
曹操に破れて敗走中、劉備は張飛とはぐれて、それぞれが落ち延びていく。関羽は劉備の妻子を守っていたが、身を寄せる先として曹操を頼む。関羽に心酔して歓待する曹操の様子がほほえましい。関羽は劉備の妻子にもよく仕えており、そうした忠義が曹操には気持ち良いようだ。関羽も曹操の恩に応えて袁紹の軍と戦う(しかし、当の劉備は袁紹に身を寄せているため、劉備の立場が危うくなるのだが)。
劉備の居所を突き止めた関羽が、曹操に暇を請いにいくも、関羽は曹操を去らせたくないため居留守を使って別れの挨拶を拒否。仕方なく曹操は挨拶なしで去るが、曹操は咎めない。
<意固地な孫策>
意固地そのものの最期。周囲が諌めるのも聞かず于吉導師を処刑する。この仙人は教祖みたいなものなのだが、孫策は臣下や領民が自分以外の人間を敬うのが許せなかったようだ。結局、自分が殺した于吉の影に脅かされ、狂人となって死ぬ。 孫策は享年27歳だったが、若くして成功し、自分の権力や考えに固執してしまった。この点は曹操と違う。
<孔明を得た劉備>
何度も孔明の庵を訪ねるものの会えず、張飛はそんなに繰り返さなくても良いのではないかと怒り出す始末。雪の戸外で待たされるのは確かに気の毒である。しかも、せっかく孔明を軍師として迎え、案や戦略を得ているのに、ウダウダ迷って退けるのがもどかしい。
弱った劉表に代わり荊州を取ってしまえという孔明案に対し、敗残の自分を受け容れてくれた同じ漢室の人間という恩から、弱みに乗じることはできないと拒否。結局、劉表は亡くなり、後継の劉琮は曹操に降参して荊州は曹操の手に落ちる。なんともったいないことか。孔明案を採用していれば、荊州を得られたし、荊州の民も劉備の適度な租税のもとで暮らせただろうに。
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